Instagramに書いてたこと、こちらにも書いておきます。
オルタナティブスペースが「オルタナティブ」であるのは、美術館やマーケットという制度に対して独自の制度・独自の観客を開拓することが「オルタナティブ」であるのだとするなら、わたしがnobiについて考えているのは、どちらかというと制度に対する補完的な機能ではないかなと思いました。nobiは武蔵美の近くに位置していて、わたしが武蔵美出身ということもあってその大学との関係は意識しているのですが、今回出展されている各スペース様でも、大学との関係がしばしばあるなと思いました。これは、ある種の制度との関わりがあると、自分では感じています。
極端な例かもしれませんが、八路軍は制度の打倒を目指したという点で「オルタナティブ」ですが、そういう意味でのオルタナティブというのは少ない気がしています。どちらかといえば、スタートアップのエコシステムに近い印象があって、シード期のアーティストの実験的な環境として、「オルタナティブスペース」があるのかなという印象があります。シード期を抜けたらマーケットや美術館での展示をやったりする。これは制度の代替物であるというよりは制度の一部であり、むしろ中央のアート環境との相互関係において成立している場合が多い気がします。
オルタナティブスペースの走りとしてはゴードン・マッタ=クラークがいて、いまのように制度が機能分化するより前の実践ではあるけど、レストランをやったり家をぶった切ったりなど幅広い活動をしていますが、実際に彼が短命だった以上にその活動内容も短命だったとは思います。ART SINCE 1900でのマッタ=クラークについての記述が誰だったか今手元になくて思い出せませんが、その短命さを指して「オルタナティブスペースのムーブメントはすぐさま制度に回収された」というようなことを言っていたような気がします。Octoberの面々はまあ自主運営であるから(ですよね?)、「オルタナティブスペース」ムーブメントがすぐさま制度に回収されてしまう(つまりスタートアップのシードのようなものとして捉えられるような)足腰の弱さを批判してみせたんだとおもいますが、そしてOctober派のような反骨心もいまの自分にはないわけですが、しかし、マッタ=クラークの活動にしても、「オルタナティブ」という言葉で考えるよりも、「都市の隙間」に発生するような諸活動の形態を考えてみることが生産的な批判ができたりしないかな、などと考えました。マッタ=クラークが家を切断してみせたのが、都市に空隙があることを明示するためであるなら、一枚岩の「制度」があって、それへの代替があるということより、そもそも「制度」が穴だらけであって、その穴にみんな棲みついてしまってかまわない、そういう実践をしてみせたのがマッタ=クラークであるとも思えます。
ほんとうにとりとめもないのですが、「オルタナティブ」という言葉を巡ってもやっとした感覚を置いておきます(前半と後半で言っていることがバラバラなのも眠い頭で思考したものでご容赦ください)。
RE: https://fedibird.com/@satomuch/117263496845410434
Quoting
NEW PLATFORMに出展していた @tenjuu99@hollo.tenjuu.net さんが参加された2日目のトークイベントの模様(行きたかった)。あとから「この前の社会科の戦略ではなく戦術、みたいな話だと思いました」とメッセージをいただき、そう、この前の「戦略と戦術」の話、聞いてて凄い大事だと思ったんだよなってなった。実践と応用が利く。
https://www.instagram.com/p/DdMk7v5D3Bw/?stkn=MWxxbjNqZDdyN2Qzcw==
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